次男の勉強を見ていて、ふと思い出した。
「そういえば、長男もこの頃こんなことで苦労していたな」
今、次男は三桁の筆算を始めたところ。
それを見ていたら、小学2年生だったころの長男のことを思い出した。
同じ兄弟。
同じ家で育っている。
でも、勉強でつまずくところは全然違う。
最近、2人の勉強を見ながら、そんなことを改めて感じている。
長男は「なんで定規を使うの?」だった
長男が小学2年生のころ、筆算に苦労していた。
計算そのものだけではない。
筆算では、数字の下に線を引く。
学校では、その線を定規を使って引くことになっていた。
でも長男は、フリーハンドで引いてしまう。
「定規を使って」と言うと、
「誰が決めたん?」
「定規の必要性がわからん」
と言う。
長男からすると、線を引くことには変わりない。
定規を使っても、手で引いても、線は引ける。
だから、なぜわざわざ定規を使わないといけないのかが理解できなかったんだと思う。
「学校のルールだから」
「先生が必要だと思って決めたルールだから」
そう説明しても、納得できない。
「線引いてるのに、なんでバツされるん?」
「答え合ってるのに」
そう言って、また言い合いになる。
そして、怒って勉強そのものをしなくなる。
当時の私は、
「もう、やりにくい子やな」
と思っていた。
「なんで?」は筆算だけじゃなかった
長男の「なんで?」は、筆算だけではなかった。
授業中に他の本を読んだらダメなのは、なんで?
学校に行かないといけないのは、なんで?
答えが分かっているのに、書かないといけないのは、なんで?
連絡帳を書く意味が分からない。
手紙を出さないといけない意味が分からない。
大人からすれば、「学校ではそういうもの」と思うことばかり。
でも長男は、そこに納得できない。
「こうするものだから」と言われても、その理由が分からないと動けない。
そして、納得できないまま言い合いになって、勉強する気持ちまでなくなってしまう。
当時は、ただ「なんでこんなに反論するんだろう」と思っていた。
今振り返ると、長男にとっては「ルールの意味が分からないこと」そのものが、大きなつまずきだったのかもしれない。
今の次男は、同じところでは困っていない
そして今。
次男も三桁の筆算を始めた。
長男が苦労したのと同じような勉強を、今度は次男がしている。
でも、ここでまた思う。
「あれ?全然違うな」
次男は、定規を使うことにはそれほど抵抗がない。
たまにフリーハンドで線を引いていることはある。
それでも長男のように、
「なんで定規を使うん?」
と、そこで止まることはない。
同じ兄弟なのに、引っかかる場所が違う。
次男は「引き算」で苦戦している
今の次男が苦戦しているのは、引き算。
10を超えると、混乱しやすい。
足し算なら、指を使って考えることができる。
例えば5+8。
片手で5を作って、もう片方の手で8を作ろうとする。
でも、片手では5までしか作れない。
そこで困ってしまう。
引き算も同じように難しい。
何問かなら、一緒にやればできる。
でも、難しい問題が続くと、
「もういややーーー」
とゴネる。
「これするから、ゲームの時間延長して」
と交渉してくることもある。
宿題に取りかかること自体はできる。
そこは、長男よりも取りかかりやすい。
でも、分からなくなると動かなくなる。
そして、難しい問題が重なると、すねてしまう。
漢字も、次男には難しい
漢字も苦戦している。
漢字を覚えること自体も大変。
それだけじゃない。
一つの漢字に複数の読み方があること。
その中から、どの読み方が当てはまるのかを自分で考えること。
そこも苦痛らしい。
音読みと訓読みを覚えられていないのか。
そもそも、そこまで気に留めていなくて、よく使う読み方だけを覚えているのか。
まだ、はっきりとは分からない。
「本」ひとつとっても、「ほん」「ぽん」「ぼん」と読み方が変わる。
こういう細かな違いも、次男には難しい。
数字でも、2と5、4と9の判別がつきにくいことがある。
数字や漢字の形を捉えることにも、本人なりの難しさがあるのかもしれない。
「勉強が嫌い」の中身は、同じじゃない
長男と次男を見ていて、一番感じるのはここ。
同じ「勉強を嫌がる」でも、その理由は同じではない。
長男は、問題そのものは自分で読んで解くことができた。
でも、
「なんで、こうしないといけないの?」
というところで引っかかった。
次男は、宿題には取りかかれる。
でも、問題の意味が分からなくなると止まる。
そして、分からない問題が続くと、気持ちが折れてしまう。
長男は「ルールの意味」に引っかかる。
次男は「計算や読みそのもの」に引っかかる。
同じ兄弟でも、こんなに違う。
昔の私は「やりにくい子」と思っていた
長男が小さいころ。
「なんで?」と反論されるたびに、私は思っていた。
「やりにくい子やな」
勉強をしない。
言うことを聞かない。
決められたことを素直にやらない。
そんなふうに見えていた。
でも、今は少し違う見方ができるようになった。
勉強を嫌がるのは、サボりたいからだけではないのかもしれない。
分からない。
気持ちを切り替えられない。
失敗したくない。
できない自分を見られたくない。
いろんな理由が重なって、「もうやりたくない」になっていることもある。
次男を見ていると、それを実感することが増えた。
発達の段階も、得意も、苦手も人それぞれ
自分と子どもは違う。
同じ兄弟でも違う。
それは分かっているつもりでも、毎日の育児の中では忘れてしまうことがある。
長男ができたから、次男もできる。
長男が苦手だったから、次男も苦手。
そんなふうにはならない。
長男には長男のつまずき方があって、次男には次男のつまずき方がある。
だからこそ、
「できない」
だけを見るのではなく、
「どこで困っているんだろう」
と見ていくことが大切なのかもしれない。
その子に合う勉強の方法を探したい
2人を見ていると、学び方も一つじゃなくていいと思うようになった。
学校の授業で分からなかったところを、家庭でゆっくりやってみる。
一つ前の学年まで戻ってみる。
分かるところは先に進んでみる。
一人ひとり違うなら、その子に合う方法を探していけばいい。
そんなことを考えるようになって、最近気になっているのが、オンライン学習のすらら。
すららは、学年にとらわれず、自分の理解度に合わせて学習できる「無学年式」のオンライン教材。
分からないところまで戻って学習したり、理解できているところは先に進んだりできる。
子どもによって「どこが分からないのか」が違うなら、こういう学び方は選択肢のひとつになりそうだと思った。
ただ、わが家ではまだ実際に使っていない。
だから、「次男には絶対これが合う」とは言えない。
今は、こういう教材があることを知って、選択肢のひとつとして検討している段階。
以前は「勉強ができないなら、もっと頑張らせないと」と思っていた。
でも今は、
「この子は、どこで困っているんだろう」
「どうしたら取り組みやすくなるんだろう」
と考えるようになった。
その中で、学校とは違う方法で学べる教材を知っておくことも、親にできることのひとつなのかもしれない。
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兄弟だからこそ分かったこと
長男と次男。
同じ兄弟でも、苦手なところは違う。
長男は「なんで?」で止まった。
次男は「分からない」で止まる。
だから、必要なサポートも同じではない。
発達の段階も人それぞれ。
得意なことも、苦手なことも人それぞれ。
そして、勉強を嫌がる理由だって、一つではない。
昔の私には分からなかったことが、今になって少しずつ見えてきた。
「勉強したくない」の裏側には、その子なりの理由があるのかもしれない。
だからこれからも、できないことだけを見るのではなく、
「どこで困っているのかな」
と、その子を見ていきたい。
これもまた、兄弟それぞれの個性なんだと思う。






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