グレーゾーンから3年、次男にASDの診断が出た

凸凹育児(発達グレーゾーン)

次男はずっと「発達グレーゾーン」だった。

診断名はつかない。でも、ふつうの枠にはうまく収まらない。

その状態のまま、支援級を選びリスペリドンを飲み始めた

そして小3の3月。児童精神科で、診断がついた。

その日のことを書いておく。

「ASDの特性が強いかな」

診察で、医師から言われたのはこの言葉だった。

「ASDの特性が強いかな。」

はっきり「ASDです」とは言われなかった。

語尾も、少し濁したような言い方。

だからその場では、「そうなんだ」くらいの受け止めだった。

診断がついた、という実感はなかった。

診療計画書に書かれていた文字

実感がわいたのは、その診察の最後に渡された診療計画書を見たとき。

そこに、こう書かれていた。

「自閉スペクトラム症・知的境界域」

口で「特性が強いかな」と濁されたその場で、紙にはもう、はっきり書かれていた。

口で言われるより、文字で見るほうが重かった。

「知的境界域」という言葉に、少し立ち止まった。

でも、これが支援級を選んだ理由そのものだった。

なんとなく「このほうがいい気がする」で決めたわけじゃない。

検査の結果として、境界域という数値があった。

普通学級か支援級かで悩んだあの時間の答えが、ようやく文字になった気がした。

しっくり来なかった

一方で、「自閉スペクトラム症」のほうは、しっくり来なかった。

次男は人懐っこい。

気も利く。

私の中のイメージと、診断名がつながらなかった。

「そうかな?ちがう気もするけどな」と思った。

療育の先生のひとことで、腑に落ちた

診断のことを、療育の先生に伝えた。

すると、こう返ってきた。

「会話が一方通行なことがありますね。」

言われてみれば、と思った。

人懐っこいのと、会話がやりとりになっているかは、別の話だった。

そこでようやく、少しだけ腑に落ちた。

何が変わったか

診断がついても、次男は次男のまま。

できることも、苦手なことも、昨日と変わらない。

変わったのは、周りへの説明のしやすさ。

「グレーゾーンで…」と言うより、「ASDの診断があって」と言うほうが、少しだけ伝わる気がする。


名前がついた。

でも、名前がすべてを説明してくれるわけじゃない。

グレーの頃の不安も、診断が出てからの「そうかな?」も、支援級の根拠がやっと分かった安心も。

どれもほんとうのこと。

次男の話は、これからも続く。

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