わたしは何でも屋じゃないもん!

母のつぶやき

「お母さん、これやっといて!」という声が毎日のように響く中で、ふと思う。「わたしは何でも屋じゃないもん!」って。でも、完璧を目指して頑張りすぎても、結局は自分が疲れてしまう。完璧じゃなくてもいいって思えるようになった時、家族みんなが少し楽に過ごせることに気づきました。この記事では、「完璧じゃなくても大丈夫」という気持ちを、家族と一緒にどう受け入れていくか、日々のリアルな心情をシェアします。

母は何でも屋!?

何か困ったことがあるとすぐに「おかーさーん」を連呼する子どもたち。

次男
次男

「お母さん、スイッチのソフトしらん?」

長男
長男

「お母さん、宿題のプリント知らん?」

末っ子
末っ子

「お母しゃん、これ鳴らない(おもちゃの電池切れた)」

長男
長男

「お母さん、次男がテレビ勝手に変えてきた。」

次男
次男

「お母さん、水筒のケース敗れた。」

長男
長男

「お母さん、テレビ録画しといて」

末っ子
末っ子

「おやつ出して〜」

・・・おかあさん、おかあさん。

呼ばれることは、用事の依頼ばかりで、なんだかもやもや。

長男
長男

「お母さん、リモコンないよ。探して」

子どもたちが自分でできることから、すぐに対応できないことやら、たくさん呼ばれすぎて、最後はプツ−−−ンと糸が切れた。

わたし
わたし

「いい加減にしてーーー!」

わたし
わたし

「全員一回座って!」

みんなの、前に正座して座り一人づつの顔を見て順番に話していく。

わたし
わたし

「片付けすれば、リモコンもソフトも見つかるから片付けて」

わたし
わたし

「ノートはなくなる2ページ前には言ってって言ってるよ。教えてくれのは偉いけど、早めに言ってくれないとすぐには買いに行けないよ」

わたし
わたし

「宿題のプリントはクリアファイルに入れてないからなくすんだよ」

わたし
わたし

「おもちゃの電源をいつも切らないから、すぐに電池無くなって動けなくなったり音ならなくなったりするんだよ」

彼らはなんでも母に言えばなんとかなると思っているけど、母にもキャパがある。

「呼ばれすぎて今日はもう母疲れた。だから、君たちの代わりにソフトもリモコン探すのも、録画もするから、母がやる仕事をしてください。お風呂掃除して、お風呂ためて、末っ子の保育園の洗い物出して明日の用意してそれからご飯炊いて、夜ご飯作ってください。」

と子どもたちに伝える。

ここでも反応は三者三様。

母の仕事をしたくなくて渋々片付けをする長男。
ご飯作るのは好きだから、自分のやるべきことを放棄してご飯を作ろうとする次男。
よくわからないから、私に甘えてやり過ごそうとする末っ子。

毎日のことだけど、たまに自分のキャパがすぐにいっぱいになる日とそうじゃない日の違いはなんだろう。ホルモンバランスか、日中の仕事の忙しさの違いか…。

でも正直に言うと、「私もにんげんだもの」いつもいつもにこやかに過ごせない。そうしたいと思っても、実際はホルモンの関係もあるし、体調や疲労もある。

「いつも完璧な母親像を持って育ったら、未来のこの子たちの彼女や奥さんに迷惑だ。女の人、お母さんも大変だし、怒ることもあるよねって思ってもらおう」って、自分にポジティブに言い訳してみたりする。

でも、結局、完璧じゃなくてもいいんだよね。私も、子どもたちも、みんな「完璧」なんて無理って分かってるはず。でも、そんなときこそ「まあ、今日はこんなもんでいいか!」って、お互いを受け入れ合っていければ、それが一番だと思う。

お母さんだってイライラするし、つい「もー!」って言っちゃうこともある。だけど、それも家族だからこそ。子どもたちにも、「完璧じゃない自分を大事にして、お互いに支え合おう」と伝えられたら、もっとリラックスして過ごせるようになる気がする。

そして、完璧じゃないからこそ、将来お嫁さんや彼女が困ったとき、「ああ、こういう時はお母さんみたいに怒ることもあるけど、許してくれるかな?」なんて思ってくれるかもしれない(笑)。完璧じゃないからこそ、みんなでお互いを理解して支え合っていける、そんな家族でいられたら素敵だと思う。

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